YEGロゴの入った亀田縞きんちゃく
YEG事業や祭事など様々な場面でYEG愛を周囲にアピールすることが可能です!
生地やロゴの色や大きさを変更することも可能ですので、お問い合わせにてご相談ください。
【亀田縞】亀田縞は農作業着がルーツのため、何より丈夫であり、生地の変形もほとんどしません。そのため、一定の規格をキープすることが出来ます。そして、洗えば洗うほど風合いがしなやかになります。また、特徴的な縞模様が粋な雰囲気を醸し出しています。当時は本藍染めであったため、ヒルが嫌がり寄ってこないという特徴がありましたが、現在生産している亀田縞は当時と同じ藍染めだと色落ちがひどいことから、生地の中にインディゴを採用し、色落ちしにくくしています。
【亀田縞の歴史】1696年に袋津村を中心に木綿縞(のちの亀田縞)の生産を開始したのが亀田縞の始まりとされています。現在の亀田地域周辺では、当時、副業として綿花の栽培が行われており、その綿花を紡いで糸にし、染めてから織る技術(先染め技法)を用いた先染織物がいち早く根づき、農業から機業へ移行していきました。全盛期には660軒の機屋が集積するほどでしたが、第2次世界大戦勃発による物資統制の影響を受けた減産、戦後になってからは和装から洋装へと移り変わる中で需要も減少し、亀田縞は1952年に完全に消滅してしまいました。亀田縞消滅後も、日本の繊維業界は1985年のプラザ合意を契機とした円高により輸出が悪化の一途を辿ったことで衰退していき、亀田地域の機業数も減少を続け、現在も残っている2社のみとなってしまいました。「このままでは亀田地域の繊維業が全滅してしまうかもしれない」との危機感から、かつて生産され、亀田地域隆盛の象徴であった亀田縞を復活させるための取組が2004年からスタートしました。一度途絶えてしまっているため、復活させるためには当時の生地を分析する必要がありましたが、その生地がなかなか見つからない中、たまたま郷土資料館から資料として保管されていた古布が発見されました。その古布を徹底的に分析し、縦糸と横糸の密度や糸の太さ、染色法などを忠実に再現した亀田縞が2005年に復活しました。